清水長金属工業株式会社

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京都の地で100年の時を、
世の中の必要とともに。

代々刀の鍔(つば)の製作をしていた創業家が、めっきを扱う企業として創業したのが1923年。
きっかけは明治政府による廃刀令でした。
以降100年。清水長は、世情のさまざまな変化に柔軟に適応しながら技術や設備を進化・発展させ、
今も京都の地で、世の中が必要とする製品を愚直に生み出し続けています。

清水長の歴史の流れ

  • 創業めっき業のはじまり

    清水家は代々から刀剣の鍔(つば)作りを生業としていた。明治以降は刀の需要がなくなり大正年期にタバコの煙管(キセル)作りに事業転換を図った。真鍮(亜鉛と銅の合金)製の煙管の雁首などの金具をピカピカにして意匠性を付与するための「バフ磨き」と「ニッケルめっき」を行ったことがめっき業の始まりと言い伝えられている。また、創業の地である左京区川端仁王門孫橋町の横に流れる琵琶湖疏水を利用した水車発電で、めっきに必要な電気を発電していたと言い伝えられている。

  • 戦時から戦後へ軍需の拡大と復興

    第2次世界大戦勃発により清水長も軍需製品へ表面処理を担う指定工場になった… 戦後はあらゆる工業製品にめっきが普及し大量生産・大量消費時代に突入。昭和26年頃より、海外の優れた光沢剤など新技術の積極導入や、大学・公共機関との産官学共同研究に取り組むなど、業界の技術革新や地域産業の発展に大きく貢献した。復興需要により、特許技術である「メタライト(燐酸塩処理)」や「溶融亜鉛」など防錆めっきの他、自動車用バンパーへの「銅-ニッケル-クロムめっき」が主力事業となった。

  • 高度成長とともに自動化の推進

    戦後復興から高度経済長期となった日本の製造業は、より安定した品質と生産の合理化による効率的な大量生産が求められる時代となった。清水長は業界に先駆けて、自動化を目的とした大型設備投資を英断。従来の「タクト式・単一仕様・大量生産方式」から大きく方針を転換し、「バッチ式・多品種・変量生産方式」が可能な最新の海外製制御装置を導入し「工程任意選択型めっき処理プログラム」を自社開発。業界の常識を覆す生産システムを構築し地位を盤石なものとした。

  • 情報化社会の到来精密化・高品質化の追求

    「Japan As No.1」と評されるほど技術立国へと発展した日本。中でも半導体や通信技術の高度化に伴い機械や装置部品はより精密化し品質の高精度化が求められた。清水長は大型自動めっきラインの改良・移設を矢継ぎ早に行い生産性と品質をさらに向上させたほか、軽薄短小で繊細な部品に高精度な加工が行える手動ライン・自動バレルラインを積極的に導入。大物〜小物まで、多種多様な生産工法とめっき仕様を兼ね備えた事で「めっきの事なら清水長。キラリと光る技術屋集団」を標榜した。

  • 品質新時代品質・環境意識の高まり

    「Made In JAPAN」が高品質の代名詞となり、日本のモノ作りは世界を席巻。しかしバブル崩壊により日本経済は失速…そのような中、欧州を由来とする世界的品質統一規格「ISO」の認証取得が取引条件の主流となった。清水長は従来の属人的「勘・コツ・経験」を大規模に見直し、’00年にISO 9002を認証取得。’02年、自主破棄後は独自の「SQM」を再構築した。また、地球環境問題が深刻化する中、環境マネジメントシステム「エコアクション21」を’12年に認証取得。公害防止・省資源化・環境配慮型めっきの開発などに取り組むなど、企業のマネジメント強化を図った。

  • 進むハイテク化・多様化高精度・高機能への挑戦

    バブル崩壊後、失速した日本に代わり中国・韓国・東南アジアなどが台頭。グローバル化する事で世界が競争相手となり、市場ニーズも多様化が進んだ。淘汰が進む中、国内で生き残るためには品質・性能・機能面でさらなる高付加価値化が求められた。清水長は、研究開発体制を整備し「ニーズとシーズの相乗効果」「高精度化・高機能化・超微細化」をコンセプトに技術開発を推進。「Ni-Fe合金めっきによるナノフォーミング」や「電磁波シールドめっき」を開発。’16年にはアルミ表面の高硬度化に特化した「硬質無電解めっき…トライボロン」の量産技術を独自開発し、業界に新たな価値を提唱した。

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